天才発明家【アインシュタイン】の脳の不思議!普通の人より脳が小さいって!?

ドイツ生まれの理論物理学者である、アルベルト・アインシュタイン。彼は、人類に大きな影響を与えた科学的発見をしました。その結果、ノーベル物理学賞も受賞しています。
そんなアインシュタインですが、彼の脳みそは一般人のそれと特段変わりはないといわれていましたが、病理学者によって勝手に持ち出され,天才と一般人との違いを探る研究に利用されてしまいました。そして最新の脳科学による病理解剖では、驚くことにニューロンではない別の脳細胞の数が桁違いに多いことが分かったそうです!また、これもまた驚きですが、一般の脳みそよりも小さめだったというのです。そして今その脳みその行方はどうなっているのでしょうか。

アインシュタインが天才と称されるに至った生い立ちや、特徴的な脳みその秘密や不思議を探ります!

アインシュタインの生い立ち

 

幼少期~彼に影響を与えた2人の人物~

彼は、ドイツのヴュルテンブルク州ウルム市に生まれました。

彼は5歳ごろまで、あまり言葉を話しませんでした。(一説では9歳までともいわれています)この頃、父親からもらった方位磁石が、自然界の仕組みに興味を持つきっかけになったと言われています。6歳でヴァイオリンも習い始めました。特にモーツァルトの曲が好きだったそうです。

彼は数学に関しては、幼少のころから才能がありました。9歳でピタゴラスの定理の存在を知り、寝る間も惜しんで自力でその定理を証明をしました。12歳で叔父の○○○から「ユークリッド幾何学」の本を貰って、独学で学びました。
この時に、”微分学”や”積分学”も独学で習得しました。また医学生のマックル・タルメイから天文学の存在を知らされて、物理学にも興味を示しました。

大学時代~アインシュタインの性格~

1895年にはスイスの名門、チューリッヒ連邦工科大学を受験しました。しかし、総合得点が足りずに失敗してしまいました。
その試験の中でも、数学と物理の点数が最高ランクに達していたアインシュタイン。その為、工科大学の校長が、塾に通って、中等教育の諸知識を習得することを条件に、翌年の入学資格を与えてくれました。大学の先生には反抗的で、興味のない授業には出席すらしなかったそうです。

アインシュタインは、得意な事には打ち込み、苦手なことや興味のない事には向き合わないという性格の持ち主でした。

職を得たアインシュタイン~奇跡の年~

1902年、アインシュタインはスイスの特許庁に就職しました。もちろん働きながらも、大好きな物理学の問題に取り組んでいました。

ですが1909年には特許庁を退職し、チューリッヒ大学の助教授、1910年にはプラハ大学の教授、1912年にチューリッヒ連邦工科大学と各大学の教授に就任しました。そんなアインシュタインは、世界各地を訪問しました。フランスインドベルギーアメリカ。もちろん日本にも来日しています。
訪問のさなか、1933年にはドイツでヒトラー率いるナチスが政権を握る事となったため、ユダヤ人への迫害が日増しに激しくなってしまった。
その為、アインシュタインはドイツには戻らず、アメリカに移住することになります。

さらに詳しくこちらの記事でまとめています↓

 

死去~天才の最期

アインシュタインは、核兵器の廃絶や戦争の根絶、科学技術の平和利用などを世界各国に訴えていました。そんな1955年4月13日に、イスラエルで心臓付近の痛みに倒れてしまいました。4月15日には病院に入院して、周囲から手術を勧められるにも関わらず、拒否していました。
入院中の間も、彼は研究を続けようと一生懸命だったそうです。

そして1955年4月18日、76歳で生涯に幕を閉じました。最期の瞬間、彼はドイツ語で何か話したそうですが、その場にいた看護師はドイツ語が理解できなかった為、今でも彼が最後に何を言っていたのかは不明となっています。

アインシュタインの功績

1905年、アインシュタインは重要な論文を3つ発表しました。
この年は「奇跡の年」とも呼ばれており、
この後数年でアインシュタインは5つの重要な論文を立つ続けに発表する事になりました。
・「特殊相対性理論」・・・光の速さは変わらず、時間や空間は観察する人によって違う
・「一般相対性理論」・・・星の重力によって、光の進路は曲げられる
・「光量子仮説」・・・光電効果によって、金属の表面から飛び出してくる電子のエネルギーを説明したもの
・「ブラウン運動の理論」・・・気体や液体の中の不規則な運動を証明したもの

1921年には光電効果の法則の発見等で、ノーベル物理学賞を受賞しました。

 

天才の脳みそは?!

 

アインシュタインの死後、彼が世に名高い天才だけに起こってしまう騒動が起こります。アインシュタインの脳は、彼が死亡してから(許可なく)遺体から取り出され、研究対象となりました。なんと彼の脳みそが盗まれてしまったのです。脳を盗んだのはプリンストン病院の病理学者であるトーマス・シュトルツ・ハーベイ医師になります。彼はアインシュタインの臨終に付き添っており、アインシュタインが亡くなると、さっそく解剖を始めてしまいました。まずは死因を特定してから、アインシュタインの脳を切除して大きさを測定したりしたそうです。本人はこの事の許可を得ていると主張しているようですが、具体的に解剖を許可した記録や書類は残っていません。ハーベイ医師はアインシュタインの脳をホルマリンのビンに入れ持ち出しました。そこでわかった事は、3つありました。

1つめは、「左脳と右脳の間の溝が深い」こと

普通の脳は、右脳と左脳の役割が分かれています。その間に溝がありますが、彼の脳みその溝は普通の人よりも溝が深かったそうです。その為、左脳と右脳の情報伝達が早かったのです。ちなみに、溝が浅いと頭の回転が速いとされています。

2つめは、「脳が軽い」こと

一般的な脳は1400gですが、アインシュタインの脳は1250gでした。アインシュタインは”天才と”と言われてきましたから。脳みその重さが、頭の良さに比例しないということがわかります。
進化の過程を辿ると、さも「脳が大きい=頭が良い」と思ってしまいがちですが、これは間違い。偉人の容量を比較してみると、この間違いが顕著になります。
◇ツルゲーネフ(作家)・・・2012cc
◇カント(哲学者)・・・1650cc
◇湯川秀樹(物理学者)・・・1500cc
◇夏目漱石(作家)・・・1425cc
◇アインシュタイン・・・1250cc
◇アナトール・フランス(作家)・・・1017cc

 

3つめは、「グリア細胞が多い」こと

アインシュタインの脳は、異常にグリア細胞が多かったことがわかりました。

脳細胞の8割以上を占めるグリア細胞は、これまでニューロンの間を埋める詰め物と軽視されてきましたが、近年の研究で、神経細胞を制御する重要な役割を果たしていることがわかってきました。
この脳みそ、驚く事に40年間もハーヴェイの手元に置いただけでなく、スライスした切片を求めに応じて知り合いに配ってしまいました。こうしてアインシュタインの脳の切片は、世界各地の博物館や科学館で展示が行われるようになりました。ハーヴェイは晩年、アインシュタインの孫娘に手元に残っていた脳みそを返却しています。

まとめ

いかがだったでしょうか。天才として称されたが故に、本人や家族の許可なく脳みそを研究のために使われ切り刻まれた。本人や家族の思いは複雑だっただろうと想像できます。天才の宿命と片づけるにはあまりに悲しすぎると思いますが、彼の知性の秘密が今後も少しずつ解き明かされて、人類のさらなる発展や進化に繋がっていったら良いなと思います。

関連記事

こちらの記事もオススメ!