南北朝統一の立役者【足利義満】日明の勘合貿易は莫大な利益をもたらした!

祖父尊氏、父義詮の後を受け、室町幕府の第三代将軍となった足利義満は、南北朝の統一などを行い、その結果混乱の時代は徐々に安定した時代へと移っていきます。その中で義満は、当時の中国大陸を治めていた明と日明貿易を開始します。明は、鎌倉幕府を苦しめた元を追い払って14世紀後半に成立した国家です。

日明貿易とは、勘合貿易という名で知られている貿易で、足利義満は莫大な利益を得ます。この利益を惜しみなくつぎ込んだのが、北山文化を象徴する金閣寺です。この日明貿易が大きな利益を上げたのには理由があります。この記事ではこの日明貿易を解説します。

北山文化を代表する金閣寺

出典:Wikipedia

日明貿易が始まるまで

倭寇による密貿易

14世紀初め、日本では室町時代初期で南北朝の争いが行われていました。そのため、中央政権の統制が弱く、京都から離れた地域では独自の行動をしている者が少なくありませんでした。その中に倭寇と呼ばれる人達がいます。日本人と少数の高麗人(朝鮮半島の人)によって構成されていた集団で、海賊行為、密貿易を行っていました。

この倭寇は、かなりの軍事力を持つ集団で、明を国家的な危機に追い込んだりしています。

明は倭寇の取り締まりを日本に依頼しますが、当時南北朝の争乱が激しかった日本ではとてもその余裕がありません。しかし、将軍職が足利義満に変わると、日本の政治状況が変わっていきます。

足利義満が貿易に乗り出す

第三代将軍足利義満の時代になると、南北朝の統一などで混乱が落ち着き始め、政権の中央部にいる義満も外へ目を向けられるようになりました。その義満に、博多の商人がアドバイスをします。

博多商人・肥富
明との貿易は大きな利益を生みますよ。どうですか?やってみませんか?

義満は明に使者を送り、通商の交渉を始めます。

義満が日本国王と呼ばれたわけ

当時の明は貿易に対して「明の臣下となった国が、貢ぎ物を持ってくるという形式」でないと貿易を認めませんでした。そのため、義満は明に対して臣下の礼を取ります。その結果、明の皇帝から義満は「日本国王」という認証を受けます。後々問題となる「日本国王」ですが、明の皇帝が義満を日本の国王と冊封することによって貿易が可能になる、つまりは貿易を始めるために必要な手順だったのです。

冊封とは、天子(自国だけでなく、神の意志で近隣諸国も治める宿命の君主)が、自分の臣として周辺諸国の王を認めるという行為です。この場合、天子は明の皇帝になります。

勘合符を用いた貿易

日本と明の貿易がこれで始まりますが、国同士が認めた貿易でないと義満は利益をあげることができません。そのため、確かに幕府と明の皇帝が認めた貿易船であることの証明のために勘合符を使いました。

勘合符とは、木の札に字を書き、それを二つに割ったものです。これを日本と明の貿易担当者それぞれが持ち、出会った時に札を合わせて相手を確認しました。

勘合符を用いたことから、日明貿易は勘合貿易とも言われます。日明貿易と勘合貿易は同じ意味です。

日明貿易はどんな貿易だったのか?

輸出されたものと輸入されたもの

日明貿易で日本が輸出、輸入したものを下に挙げます。

日本から輸出:鉱物(硫黄・銅など)、漆器、刀剣、扇子などの工芸品
日本が輸入:明の銭(永楽通宝)、生糸、織物、書物

 

日本からの輸出品の銅ですが、明では銅が不足していました。また、日本の銅にはかなりの銀が含まれていました。

日本では銅と銀を分離する技術はありませんでしたが、明はその技術を持っていました。そのため、日本の銅は「銅としては高い値段だけど、銀としては安い値段」で売買されました。明の銭、永楽通宝は日本国内の貨幣として使われました。室町時代だけでなく、江戸時代初期まで貨幣として使うことができました。そして明からの書物は、日本の文化の発展に大きな役割を果たしました。

当時の明は世界では最先進国です。そこからの書物には最新の技術、手法、考え方が書かれており、ここからの知識が金閣寺に代表される北山文化の発展、そしてその後の銀閣寺に代表される東山文化の発展に大きな役割を果たしました。

永楽通宝

出典:Wikipedia

日本側が大もうけ?

明が上、日本が下という朝貢貿易であった日明貿易ですが、この上下関係からすると、日本が多少の損をして明が得をしそうなものです。しかし実際は、日本は大もうけをします。

これは、明が「我が国に従うとはなかなか良い国だ、貿易で儲けさせてやるぞ」という考え方を持っていたからです。つまり、臣下への御褒美のような意味合いがあったのです。今の貨幣価値でどういう貿易がされていたかを見てみましょう。かなり大雑把ですが、現在の円に換算してあります。

明で生糸を5万円分買って、日本に持ち帰ってから売ると、100万円で売れます。

日本で100万円分の銅を買って、明に運んで売ると500万円で売れます。

明に送られた遣明船は、長さがおおよそ35〜40mです。そして1000石から2000石くらいの米が積めたと言われています。大体、米が一石=150キロくらいです。ですので、15トンから30トンの荷物が積めたと計算できます。この船が10隻くらいで船団を作り、日明貿易に従事しました。当時としては、かなりの物資量になります。貿易船に荷物を持ち込む商人の笑いは止まりません。そして義満はこの利益から税を取るという形で大もうけをしました。

この貿易で、倭寇による密貿易はほぼなくなり(戦国時代になると復活しますが)、明との貿易は幕府の独占事業となります。

まとめ

日明貿易は日本に経済的、文化的に大きな利益をもたらしました。ここでの利益が北山文化、東山文化の発展に貢献した事は有名です。日本の文化の中でも大きな地位を占めるこの二つの文化は、日明貿易なくしては成立しなかったと言っても過言ではないでしょう。

この後、幕府の力に陰りが見え始めた時期には、西国の有力大名である大内氏が取り仕切るようになり、大内氏を介して朝廷が関与するケースもありました。幕府から貿易の主導権を移された大内氏の本拠地である山口は、「西の京都」と言われるほどに発展し、応仁の乱周辺では文化人が続々と山口に避難しました。

義満の始めた日明貿易がどれだけの利益をあげることができるかは、金閣寺、銀閣寺だけでなく、関与した地方都市が信じられないくらいの繁栄をすることからもわかるでしょう。この時代に日明貿易によって日本に入ってきたものは、今では日本を代表する文化としてしっかりと根付いています。

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