【トーマスエジソン】発明王になった子供時代のきっかけとは?母親はどんな人だったの?

世界の発明王としてその名を世界に知られるトーマス・エジソン。子供の頃から豊かな想像力とひらめきを持ち、そしてすべてを理解し支えてくれる偉大な母・ナンシーに育てられその才能は開花していきました。彼の発明品は生涯に約1100件もの特許を取得したと言われています。

「シンプルな発明だったら一日、大掛かりな発明であっても、10日あれば考え付く」と豪語していたとされており、そのひらめきの凄さを物語っています。

また、別ページ 発明王になった子供時代のきっかけとは?母親はどんな人だったの?】でも紹介していますが、彼の発明品の数々はどれも人々が幸せに、便利に暮らせるようになるものばかりです。

彼は武器になるものは絶対に作りませんでした。そんな発明王エジソンについて、どんな子供時代を過ごし、どんな事がきっかけで発明王にまで登りつめたのか、その凄さを探ってみたいと思います。

エジソンが発明王となるルーツ 子供時代からの凄さを探る

変わり者だった幼少期

トーマスエジソンの子供時代の写真

出典画像:Wikipedia

エジソンは子供のころから、色々な事に興味を持ち、疑問を抱く少年でした。普通の人なら気にしないようなこと、例えば

エジソン
「どうして火花って飛ぶんだろう」
「どうして生えている草は燃えなくて、枯れ草は燃えるんだろう」

など、生活の中でのちょっとしたことに着眼する洞察力を備えた、ちょっと変わった少年でした。のちに、そんな好奇心旺盛な一面が世界の発明王へとなる才能へと開花していくのですが、子供時代はなかなか周りに受け入れてもらえず変わり者扱いされる事の多かったエジソン。

そして小学校に入学して早々、いろいろと問題を起こすこととなるのです。例えば授業中には、その発想の豊かさや好奇心旺盛な性格から、先生を質問攻めにして授業の進行を妨害したり、納屋に火をつけて燃やしたりしため、手に負えないとされ入学してからたった3ヶ月後で、「授業妨害になる」と、退学勧告を受けてしまったのです。(納屋に火をつけたのは、なぜ物は燃えるのだろう。という好奇心からの事でした)

そんな個性的なエジソンを見放したのは学校だけではなく、実の父親からも呆れられ、
見放されてしまったそうです。それでも、母ナンシーだけはエジソンの唯一無二の味方であり続けました。

才能を開花させた最初のきっかけは母親だった

エジソンの母ナンシーは、周りに変わり者と呼ばれ、実の父からも学校からのも見放されたエジソンの素晴らしい発想力や才能の凄さに一人だけ気づいていました。そして、例え周りから理解されないとしても、何事も自分が理解するまで考え、好奇心をとざさないエジソンの素晴らしい一面をよく知っていました。

母ナンシー
他の子どもと比べて、いろいろな点で劣っているが、好奇心や探究心は特異なものを持っている。こうした才能は、一般的な小学校では伸ばせない
と思っていたそうです。そうしてナンシーは、元々学校の先生をしていたこともあり、小学校をやめてからのエジソンの勉強を自宅で自分がみることにしました。

後にエジソンは自身の母についてこう語っています。「母が私の最大であり唯一無二の理解者だった。母がいなければ私は発明家になれてはなかったであろう」と。

エジソンのその言葉の通り、最大の理解者ナンシーは、息子に惜しみなく愛情を注ぎ、そんな中でエジソンは豊かな発想力、想像力の凄さをさらに引き出していくこととなるのです。その陰でエジソンの才能をいち早く見い出し、その才能がさらに引き出してあげる環境を整えた母ナンシーこそ、母親の鏡だと思います。

エジソンが本格的に化学を学べるようになったきっかけ(少年時代)

何にでも興味をもち、学ぶことをひたすら続けていたエジソン少年ですが、中でも、化学に一番興味をもっていました。母ナンシーは、家の地下室を実験室用にと与え、実験用の薬品などを惜しみなく買い与えました。こうして三年が経った頃には母がエジソンに教えてあげられることはなくなってしまいました。化学や電気の知識はすでにエジソンの方が遥に進んでいったのです。

エジソンは、学校へ通わずとも、専門的な知識やノウハウを本から学び一人で様々な実験を繰り返していきます。こうして、母の支援もあり、エジソンは発明家として必要な知識を独学で身に付けていったのです。

そんなエジソンは、

エジソン
「もっと実験道具が欲しい!」

という理由から、12歳の頃に汽車の駅で新聞売りの仕事を始めました。仕事をしながらでも、列車の貨物室を借りて大好きな実験をしたり、時には、自分で社内新聞を作って売ることもあったそうです。15歳のエジソンが作った新聞はたいへん珍しがられ、当時世界一の新聞『ロンドン・タイムス』でも大きく紹介されました。

15歳の時に転機が訪れる

青年時代のトーマスエジソンの写真

出典画像:Wikipedia

エジソンが15歳の時でした。当時新聞売りとして働いていたマウント・クレメンズ駅で列車に轢かれそうになっていた二歳の子供を、エジソンが間一髪で助けだしました。この出来事が、彼の発明家としての大きな転機となりました。エジソンが助け出した子供は、この駅の駅長さんの息子だったのです。才能だけではなく、運の凄さも感じさせるエピソードですね。

この一件で駅長に感謝され親しくなったエジソンは、当時たくさんの人が憧れ学びたがっていた電信技術を学ぶ機会を得られたのです。エジソンにとってはこの上なく幸福なことです。エジソンは数ヶ月間、電信技術を学び、電信技師へ進むキャリアを積むことになるのです。その好奇心の高さから物覚えのよかったエジソンは、さらに駅長からの紹介によりストラトホード駅で電信の仕事も手に入れることができました。

こうして、独学で学び、さらに知識を身につけることのできる環境を手に入れたエジソンは、憧れだった電信技師となり、16歳から4年間アメリカの中西部地方をまわり、夜は働き、昼間は化学実験や本を読んだりしながら生活をしていました。こうした子供時代・少年時代の全ての経験が、彼を「世界の発明王」にしていったのです。

まとめ

いかがでしたか?幼少期は「変わり者」として周りに敬遠されていたエジソンですが、唯一の理解者である母親の理解・支援があってこその成功だったのですね。もちろん何よりも、彼自身が寝る間も惜しんで実験や勉学にあけくれていた賜物であります。(実際エジソンはかなりのショートスリーパーで、一日30分睡眠を実行していたといわれています。)

彼の有名な名言の中の一つに「天才とは、1%のひらめきと99%の努力である。」というものがありますが、産まれもった天才でななく、「天才的に」努力を絶えずし続けてきた人物なのでしょう。

世界の発明王エジソンの、「人々を幸せにする発明」にはどんなものがあるのか、こちらの別記事 【電気の偉人エジソン】電球や蓄音機など有名な発明品一覧!電話はエジソンの発明ではないの?で探っているので併せてご覧ください。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

12 − one =