【後鳥羽天皇】が鎌倉時代に起こした「承久の乱」とは?原因や場所についても分かりやすく説明します

鎌倉時代に起きた有名な乱として、承久の乱があります。承久の乱は、後鳥羽上皇が鎌倉幕府に対して起こした乱です。後鳥羽女工は朝廷側の人間であったのにもかかわらず、承久の乱は北条政子が御家人を鼓舞したために幕府側の勝利に終わりました。承久の乱に敗北した結果、後鳥羽上皇は北条政子によって隠岐に流罪にされてしまいます

今回は後鳥羽上皇が鎌倉時代に承久の乱が起こした原因や、承久の乱が起きた場所について分かりやすく紹介します。まず後鳥羽上皇がどんな人か、簡単に紹介するので是非参考にしてください。

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鎌倉時代に承久の乱を起こした後鳥羽上皇はどんな人?わかりやすく解説!

後鳥羽上皇は文武両道の才能あふれる人物

出典画像:wikipedia

 

後鳥羽上皇は、1183年から1198年には天皇の座にも就いていた人物です。新古今和歌集を編纂した人物でもあり、文武両道の天皇でした。隠岐に流罪になってからも和歌の編纂を続けていて、隠岐本新古今集を作っています。また、日記として後鳥羽天皇宸記も残っており、歴代の天皇、上皇の中でも残っている記録が多い人物です。

天皇に即位していた時期には祖父である後白河法皇が院政をしていて、あまり実権を握ることができませんでした。そのため、後鳥羽上皇は後白河法皇が亡くなってから実権を握りだします。

新古今和歌集は、鎌倉時代初期に天皇や上皇の命令によって編纂された歌集で、勅撰和歌集の1つです。
院政とは、天皇が皇位を譲って上皇になってからも、政務を天皇に代わって行う政治のことです。平安時代末期から鎌倉時代頃まで行われていました。

後鳥羽上皇は院政を始めてから権力を握った

土御門天皇の肖像画

出典画像:wikipedia

 

後鳥羽天皇は天皇の位を息子である土御門天皇に譲ってから、院政を始めます。この時後鳥羽上皇は、まだ18歳でした。なぜ早くに天皇の位を譲って上皇になり、院政を始めたのかというと天皇よりも上皇の方が自由に政治的な活動をすることができるからです。天皇は、様々な儀式を日常的に行わなくてはいけません。さらに、自分の周りには自分の味方か敵か分からないような取り巻きが多くいます。しかし上皇には天皇よりも時間的な余裕があり、取り巻きも天皇よりも自由に選ぶことができるというメリットがあります。

これらのメリットから、後鳥羽上皇は若くして天皇の位を譲り、院政を始めます。後白河上皇は土御門天皇、順徳天皇、仲恭天皇の3代に渡り、約23年も上皇として政治的な実権を握ったのです。

後鳥羽上皇が起こした承久の乱・北条政子との関係について

後鳥羽上皇が承久の乱を起こした場所と原因は?

承久の乱が起きた付近の写真

出典画像:wikipedia

 

源頼朝が征夷大将軍に任命されて成立した鎌倉幕府ですが、源頼朝の死後3代で源氏の将軍は途絶えてしまいました。そしてその後幕府の実権を握ったのが、北条政子の実家である北条氏です。後鳥羽上皇が政治の実権を握っていた時には、まだ朝廷にも強い権力がありました。関東地方では鎌倉幕府が権力を握っていましたが、京都や九州地方では朝廷が権力を握っていたのです。幕府と朝廷の二つの権力が日本にあったこの時代ですが、北条氏の手によってどんどん権力を強めていき、3代目の将軍である公暁が暗殺される事件が起きました。その状況をみた後鳥羽上皇は、権力を朝廷に取り戻そうと考えて1221年に承久の乱を起こすことになったのです。

承久の乱で戦が起こった場所は、

  • 砺波山(富山県と石川県の県境の付近)
  • 大井戸渡(岐阜県の可児市)
  • 墨俣(岐阜県の大垣市)
  • 宇治(京都府の宇治市)

の4か所です。最後に後鳥羽上皇が率いる朝廷軍は、京都府の宇治市で幕府軍と衝突します。この地で、北条政子の演説の効果もあって力を付けていた幕府軍は、朝廷軍に大勝したのです。

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承久の乱の後はどんなことが起こった?

承久の乱の対戦図

出典画像:wikipedia

承久の乱の後は後鳥羽上皇は隠岐へ、順徳上皇は佐渡へに流されて、時の天皇の仲恭天皇は位を廃されることになりました。しかし、このこと以外にも承久の乱で鎌倉幕府が勝利したことは、大きな意味を持っていたのです。この勝利後、鎌倉幕府の権力が日本全国に広まりました。承久の乱で勝利した幕府は、後鳥羽上皇に協力した貴族と武士の領地を取り上げて、味方である幕府の役人の地頭を各地に配置します。地頭を今まで支配できていなかった土地にも派遣したことで、鎌倉幕府の支配が全国に広がったのです。

さらに、承久の乱の後は鎌倉幕府の権力が朝廷の権力よりも強くなりました。2度と同じような乱が起きないように、承久の乱の後で幕府は朝廷の監視役とし六波羅探題を設置します。

  • 鎌倉幕府の権力が日本全国に広がった
  • 鎌倉幕府の権力が朝廷の権力よりも強くなった

ということが、承久の乱の結果です。

まとめ

いかがでしたか?今回は後鳥羽上皇がどのような人物かを紹介し、承久の乱が起きた原因と乱があった場所、さらに承久の乱の後に何が起こったのかを紹介しました。文武両道で才能あふれる人物だった後鳥羽上皇は、承久の乱で流罪になった隠岐の土地で静かに生涯を終えています。時代の流れを大きく変えた承久の乱、その乱を起こした後鳥羽上皇について興味がある方は、関連記事も是非読んでください。

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