【北条政子】は日本三大悪女の一人?承久の乱での演説やエピソードにてついても

武士として最初に大きな権力を手にした源頼朝の正妻で、夫の死後は鎌倉幕府のきっかけも作った女性、北条政子。承久の乱の際には女性なのに御家人を鼓舞して幕府軍を勝利に導きました。この乱は、朝廷側が負けてしまった日本史の中でも珍しい反乱です。

北条政子はこの功績から、後の世に尼将軍と呼ばれるようになりました。しかし彼女は悪妻、さらには日本三大悪女とも呼ばれてしまっているのです。この記事では承久の乱で活躍して尼将軍とも呼ばれる北条政子の生い立ち、悪妻・日本三大悪女の一人とも言われる理由になった怖いエピソード2つを紹介します。

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北条政子の生い立ちは?

北条政子は伊豆国の豪族の長女

北条政子の肖像画の写真

出典画像:wikipedia

 

北条政子は源頼朝が流された伊豆国の豪族、北条時政の長女です。その土地の有力者であった政子の父の北条時頼は、源頼朝の監視役という大役を任されていました。しかし年頃でもあった北条政子は父の北条時政が仕事で京都に行っている間に、源頼朝と恋仲になってしまったのです

北条時政は、罪人として伊豆国に来ていた源頼朝と自分の娘が恋仲になったと知って、二人の関係を良く思いませんでした。北条政子と源頼朝が結婚しないように、北条政子に別の婚約者を用意します。しかし結婚するために相手の館へ向かう際、北条政子は逃げ出して源頼朝の元へと向かったのです

娘の行動力と源頼朝に対する愛情を知って観念した北条時政は、源頼朝と北条政子の関係を認めて、源頼朝の強力な後援者となった、という記録が源平盛衰記に残っています。

晴れて源頼朝と結婚した北条政子は、その後まもなく 源頼朝の第一子、大姫を出産しました。その後も源頼朝との間に頼家、実朝の男児2人、三幡の女児を産んでいます。4人の子を源頼朝の設けて幕府が長く続くきっかけも作った北条政子が悪妻、日本三大悪女の一人とよばれるのは何故でしょうか?

源平盛衰記とは、鎌倉時代から室町時代に記された、歴史上の戦を題材にした物語です。

 

 

北条政子は悪妻で日本三大悪女の一人?怖いエピソードを紹介

北条政子の怖いエピソード1:源頼朝の浮気相手を問い詰める

北条政子の第2子、頼家の肖像画

出典画像:wikipedia

ここからは北条政子が悪妻、日本三大悪女の一人と言われている理由が分かるエピソードを紹介していきます。

まず最初に紹介するエピソードは、源頼朝の浮気相手を問い詰めたというエピソードです。北条政子が源頼朝との間に第2子、源頼家を身籠っているときに浮気をしてしまいます。相手の女性の名前は亀の前という女性です。北条政子は頼朝の浮気を怒り、嫉妬にかられて怒り狂います。怒った北条政子は北条時政の後妻、牧の方の父の牧宗親に命じて亀の前が暮らしていた伏見広綱の邸宅を家臣に打ち壊させました。亀の前は何とか邸宅から逃げ出しましたが、この事件を知った源頼朝は怒ります。源頼朝は亀の前の住居を襲った張本人、牧宗親の髻(もとどり)を切り落としてしまいます。

この源頼朝の行為に起こった北条時政が、一族で伊豆に帰っていくという事態にまで発展しました。それでも怒りが収まらなかった北条政子は、亀の前を邸宅に住まわせていた伏見広綱を遠江の国に流罪にします。今では立派な犯罪の浮気ですが、北条政子が生きていた時代はまだ一夫多妻が普通でした。このエピソードからは、北条政子がとても嫉妬深い性格が分かります

髻とは、髪の毛を頭の上で束ねたものです。貴族階級の男性だする髪型で、髻を切り落とすという罪がありました。

北条政子の怖いエピソード2:上皇を流罪にする (承久の乱が起こり尼将軍と呼ばれるきっかけ)

後鳥羽上皇の肖像画

出典画像:wikipedia

3代で源氏の将軍が途絶えてしまった後、源頼朝の妻である北条政子の実家、北条家が鎌倉幕府の実権を握ることになります。後鳥羽上皇は北条家が幕府の実権を握ることをよく思わず、承久の乱をおこします。承久の乱が起こって困惑する御家人に、北条政子は有名な演説を行い、幕府軍を勝利に導きました

これが、北条政子が後に尼将軍と呼ばれるようになった理由です。北条政子は幕府軍が勝利すると、後鳥羽上皇を隠岐の島へ流罪にするように命じました。上皇を流罪にするというこの行為が、北条政子が悪女と言われるようになった理由になっています。

北条政子が悪妻、日本三大悪女の一人と言われる理由は2つ

北条政子の二男、実朝の肖像画

出典画像:wikipedia

 

北条政子が悪妻と呼ばれ、日本三大悪女の一人と呼ばれるようになってしまった理由は、主にこの2つです。

  • 嫉妬深過ぎて源頼朝が他の女性との間に子供を設けることができず、後継者不足を招いた
  • 朝廷と争って、上皇を流罪にした

 

一夫多妻が普通だった時代、しかも将軍の妻であるのに嫉妬深さが原因で夫が他の女性との間に子供を設けることができなかったことが、源氏の将軍がたった3代で途絶える原因になっています。さらに上皇と争って流罪にしたことも、後の世で北条政子の評判を落とすことになりました。

まとめ

いかがでしたか?今回は北条政子が悪妻、日本三大悪女の一人と言われる理由をエピソードを混ぜて紹介してきました。尼将軍とも呼ばれる北条政子ですが、性格は嫉妬深い女性でした。その結果後継者不足を招き、承久の乱のきっかけを作ってしまっています。さらに後鳥羽上皇を流罪にしたことで、悪評が高まってしまったのです。
悪評もありますが、北条政子が時代の流れを動かす原動力になっていたことも事実です。

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