『春はあけぼの~』枕草子の内容とは?作者【清少納言】の本名や後世に残した作品

清少納言が書いた「枕草子」は、国語の教科書で読んだ方が多いと思います。清少納言とはどんな人だったのでしょうか?清少納言はどれが苗字?そもそも本名?父親、母親はどんな人?枕草子は有名ですが、清少納言の生い立ちなどにスポットライトが当たることはなかなかありません。
ここでは、清少納言がどんな人だったか、枕草子以外にどんな作品を残しているか、そして枕草子の内容を簡単に紹介します。

清少納言の生い立ち

清少納言の生まれた年は正確にはわかっていません。父は、歌人で三十六歌仙の1人である清原元輔、曾祖父には古今和歌集の歌人である、清原深養父がいます。

三十六歌仙とは、平安時代の和歌の名人36人のことです。

本名は不明です。本名は諱と言われていましたが、字を変えると忌名となります。親や主君以外が諱で呼びかけることは失礼にあたるとされていました。そのため、通称を使いました。

清少納言という名前は通称で、清は清原の清、少納言はなぜ使ったのかは様々な説があります。

清少納言は二度の結婚歴があります。一度目の結婚の時に子供を産み、その後離婚。そして宮廷に務め始めます。ただ、夫とは離婚後も交流があり、仲が良かったという記録が残っています。

中宮定子に仕える

鎌倉時代に描かれた中宮定子

出典:Wikipedia

清少納言は、993年頃から中宮定子に仕え、宮廷に入ります。博識で頭が良かった清少納言は定子に気に入られ、貴族達の交流で才女の評価を得ました。

中宮定子とは、藤原定子です。父は関白藤原道隆です。中宮、という号で呼ばれますが、一条天皇の皇后でした。

清少納言は、中宮定子の「女房」として仕えます。女房とは、中宮定子の身の回りの世話をする役目を持った人です。印象としては使用人が近いかもしれません。しかし、女房にも様々なタイプの人がいて、雑務をするだけでなく、秘書業務をこなす人、子供が生まれたら乳母になる人、子供の家庭教師などの役割を持った人もいます。どれほどの女房を連れているか?ということは、上級貴族の女性にとっては一つのステイタスだったこともあり、
才女である清少納言は中宮定子から重用され、大物貴族との交流がありました。

その後、中宮定子は3人の子を産みますが、3人目の子内親王を産んだ直後に亡くなります。その後すぐに清少納言も宮廷を去ったとされています。

枕草子の内容を簡単に紹介します

枕草子のシーンを描いた絵。鎌倉時代に描かれた。

出典:Wikipedia

清少納言と言えば枕草子です。これはいつ書かれ、どんなことが書かれていたのでしょうか?

執筆時期

枕草子がいつ書かれ始めたのかは不明です。 完成は1001年頃と言われています。時期的には、清少納言が宮廷を去る前後に完成したことになります。しかし、枕草子には加筆されたり、写したときに改変が入ったりするなど、枕草子として成立するまでが複雑であり、いくつか伝わっている伝本と言われる資料の間でも文章の違いが見られます。

活字印刷の技術が無かった時代なので、書いた物が広まるためには、
手で書き写す作業が必要でした。枕草子も書き写されて広まったと考えられますが、書き写すときに改変が加えられたり、
省略されたりして、清少納言自身が書いた原本がどうだったのかを特定するのは難しい状況です。

書き始めのきっかけは、中宮定子より当時は高価であった紙を賜ったから、とされていますが、これは虚構ではないかと考えられており、実際の理由ははっきりとはわかっていません。

枕草子の内容

枕草子の内容は、

  1. 美しいものなど、「もの」について述べた文章
  2. 生活や四季について書かれた文章
  3. 宮廷の中の出来事(中宮定子の周辺)

からなっています。随筆と日記が混ざった感じと言えばわかりやすいかもしれません。


比較的簡潔な文章で書かれており、段落が短い構成なので、中学、高校の教材に適していることも、これだけ有名になった理由かもしれません。
古文の試験の時も、段落全部を出題してもそれほど長くなりませんし、段落でまとまっているので問題を作りやすいというのもあるでしょう。

清少納言の他の作品

清少納言の他の作品には、「清少納言集」という歌を集めたものがあります。清少納言の作った歌から成立している作品ですが、平安時代後期から鎌倉時代にかけて、清少納言ではない人が選んで作ったものです。流布本というバージョンと、異本というバージョンがあり、どちらも宮内庁に保管されています。清少納言はどちらかというと、歌人の性質の方が強く、歌を多く残しています。後拾遺和歌集などには清少納言の歌が収められています。

まとめ

枕草子で有名になった清少納言ですが、歌の方が後世に多く残されています。では枕草子のような文章は一本だけなのかというとそうとも言えません。なにしろ印刷技術の無い時代ですから、自分で何かを書いたら、書き写さない限りは世間に広まりません。そして書き写さなかった場合は、原本がなくなればそれで永遠に書いた物は失われてしまいます。

清少納言の生涯は明らかになっていないことが多く、宮廷時代に親交のあった歌人の歌などから推測するくらいしかできません。しかしそれがかえって清少納言のイメージをふくらませる結果となって、枕草子と共に現代でも生き続けているのではないでしょうか。

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