電気の偉人【エジソン】電球や蓄音機など有名な発明品一覧!電話はエジソンの発明ではないの?

エジソンの生い立ちについてはこちら↓

母の理解と支援もあり、偉大な発明家としての道を歩み始めたトーマス・エジソン。彼の生み出した発明品は電話や蓄音機など現代の電気文明の礎となったものばかりであるだけではなく、その代名詞とも言える電球には日本とのある繋がりもあります。ヒントは、竹。

また、最初からエジソンの発明家生活は順風満帆だったわけではなく、その挑戦の中で人と戦わざるを得ないこともありました。ここではそんなエジソンが生み出した代表的な発明品を初期の一覧も含めて紹介し、その偉業を辿ってみましょう。

エジソン最初の発明品は、居眠りのためだった!?

エジソンの最初の発明は17歳の時に生まれました。当時夜間電信係として一時間ごとに電信を発信するだけの退屈な仕事に飽き飽きしていた彼は、その電信を変わりに発信する装置を時計を使って作り上げました。定期報告は全て装置に任せてゆうゆう居眠りをしていたエジソンですが、今まで不真面目だったエジソンがあまりに正確に報告してくることを不審に思った上司が様子を見に来てあえなく居眠りがバレ、激怒されてしまいました。

最初の特許の手痛い失敗と教訓

もちろんその後もめげることなく発明を続けたエジソン。発明王としてだけでなく特許王としても知られるエジソンが初めて特許を取得した発明は、21歳の時に発明した電気投票記録機でのこと。しかし、「投票の際に時間をかけて交渉することが出来なくなる」という理由で売り込みをかけた議会からは全く相手にされませんでした。

ですがエジソンはこの失敗から、どのような発明も人々のニーズに応え、人々の暮らしを豊かにしなければ意味がないことを痛感し、糧としたのです。

一夜にして文無しから大富豪に! 株価電信表示機の成功

リベンジのチャンスは一年後の、エジソン22歳の時に訪れました。当時勤めていた相場会社の電信表示機に欠陥が多いことが気になっていたエジソンは早速その表示機を改良し、ティッカーと名前をつけて特許を取得しました。今度は業界から大歓迎され、ティッカーの特許を買い取りたいという申し出が現れました。その金額はなんと4万ドル、今の日本円にして2億円以上の大金です。
そしてその資金を元に発明王エジソンの本格的なキャリアが築かれていくのです。

エジソンが生み出した発明品の一覧。一方、その裏側には……

エジソンの生み出した代表的な発明品をここで一覧してみましょう。

    • 電話
    • 蓄音機
    • 白熱電球

電話は言うまでもなく、蓄音機はあらゆる音楽メディアの基礎であり、電球によって照らされる電気がなければとても生活など出来ません。どれもエジソンを電気の父と呼ばせるのにふさわしい業績ですが、そこから裏側を辿れば更に興味深い歴史が見えてきます。

グラハム・ベルとの熾烈な電話訴訟戦争!電話紛争の敗北と蓄音機

電話の発明ではなく改良を行ったエジソン

成功によって得た資金を元にティッカーの製造工場と研究所を作り、その後も発明家として活躍していたエジソンですが、29歳となって新天地に新たな研究所を生み出します。それがニュージャージー州のメンロパーク研究所。この研究所に多くの優秀な人材を集めたエジソンは、彼らの才能を活かすため人材管理にも尽力し、「集合天才」とも呼ばれる無類の発明チームを作り上げました。

そして30歳のときにはついに電話を発明しますが、しかしその電話の発明には待ったが付きました。実は電話自体はエジソンが初めて発明したものではなく、すでにグラハム・ベルが特許を取っていたのです。

しかし当時のベル式の電話にはまだ課題が多く、それに決定的な改良を加えたのがエジソンでした。エジソンの発明の多くは無からの創造ではなく、既存の発明に大きな改良を加えることで新しいものを生み出していたのです。ですがベルの部下のエミール・ベルリナーがエジソンの電話と同じ炭素式マイク・スピーカーの特許を先に取得し、結果としてこの電話紛争はエジソンの敗北に終わってしまいます。エジソンは生涯この結果に納得することがなかったといいます。彼の人生は発明だけでなく訴訟とも切り離せないものでした。

 蓄音機でも再びベル、そしてエミールと対立!その勝敗は……

 

電話の改良を行った一方で、そのノウハウを活用して蓄音機の研究も進めていたエジソンは、その場での即時録音、再生が可能という当時としては画期的な蓄音機を開発しました。しかしその蓄音機の商業価値に目をつけたのがまたまたグラハム・ベルです。エミール・ベルリナーの手により、円筒式から現代にも繋がるディスク式へと更に改良を加えた蓄音機の前に、自分の開発した円筒式にこだわったエジソンは敗北しました。

しかし、果敢に改良と挑戦を続け時に戦いもいとわないエジソンがいたからこそ、これらの技術も大幅に発展したのは言うまでもないことです。

 エジソンの名声を決定づけた白熱電球の改良発明。その影には日本の「竹」があった!

まだ実用に耐えなかった当時の白熱電球

そんなエジソンの探究心が実を結んだのが白熱電球の実用化です。当時、すでに白熱電球はジョゼフ・スワンという人物が発明していましたが、フィラメントと呼ばれる部品の素材に難があり、点灯時間がたったの一分たらずとその実用性には問題がありました。それをなんとかしようと改良に乗り出したのがエジソンです。鍵はフィラメントを何で作るかにありました。

電球の改良により電気文明の父に

エジソンは度重なる実験の末に、竹をフィラメントとすれば点灯時間が200時間以上に伸びることを発見し、最高の竹を求めました。世界中の竹から最高のフィラメント素材として求められたのは……日本の竹!その点灯時間は1200時間にも及んだといいます。エジソン自身も自分が白熱電球に寄与したのは、竹をフィラメントとする部分だけだったと主張しています。

にもかかわらず電球が彼の代名詞とされるのは、その電球を活用するための配電システムまで含めて彼が事業化してその基礎を築いたからです。まさしく彼は、現代電気文明の父なのだと言えます。

まとめ

今回は彼の発明人生の初期の業績を辿ってみました。いかがでしたか?発明王という栄光の裏側の、特許王、訴訟王の側面も持っていたエジソンですが、しかしその根底には常に人々の幸せのために探求を続けてきた不屈の精神があります。その闘争心まで含めて、彼を偉人とした原動力なのだというのが正しいのでしょう。

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