素顔はイケメン【チャップリン】稀代の喜劇王に昇りつめたその生涯、死因までを追ってみました

喜劇王として知られているチャップリンですが、彼の素顔や生い立ちについてご存知ですか?5歳のときに母の代役として舞台デビューを果たした彼は、舞台俳優として活躍したこともあって素顔はとてもイケメンです。10歳では劇団入りをしてそこで演劇力を磨いていき、19歳で寸劇の人気者にまで昇りつめていました。チャップリンは25歳で映画デビューを果たしてさらに人気を集め、やがて自分でも映画の製作を手掛けていきます。

32歳のときに上映されることになった初の長編『キッド』が大ヒットし、さらにこの業界で注目を集めることになりました。年を重ねるにつれて反戦平和のメッセージが込められた映画を多く手掛けるようになり、チャップリンはついにアメリカから追放されてしまいます。

後に彼の功績は認められ、83歳にしてアカデミー賞特別賞を受賞し、追放から約20年ぶりにアメリカへの帰国を果たすことができました。
今回は、チャップリンの生涯や彼の素顔について、画像を使いながら紹介していきます。

チャップリン舞台デビューのきっかけは、母(画像あり)の代役

チャップリンの生涯の軸を作った母の存在

若い頃のチャップリンの素顔

出典画像:wikipedia

上の画像でも分かるように、チャップリンの素顔はイケメンです。そして、チャップリンの母もとても綺麗な舞台女優でした。
チャップリンの母の写真

出典画像:wikipedia

チャップリンの母ハンナ・チャップリンは、舞台で歌を歌っているときに声が割れてしまうというアクシデントに見舞われました。観客から野次を飛ばされて舞台から下がりざるを得なくなったとき、5歳のチャーリーは舞台に母の代役として上がりました。

母としては悲しい舞台デビューとなってしまいましたが、チャップリンは19歳で寸劇の人気者になるほど成長を遂げていきます。残念ながらハンナの声は戻ることがなく、彼女は精神的に追い詰められていきました。

チャップリンは母へのメッセージを映画で送っていた

映画独裁者のときのチャップリンの写真

出典画像:wikipedia

大変な状況でもチャップリンに母として愛情を注ぎ続けたハンナに、チャップリンは映画でメッセージを残しています。映画『独裁者』の演説のシーンを覚えていますか?演説の最後には「ハンナ…聞こえるかい…?」という言葉が入っています。
ハンナ、とはチャップリンの母の名前です。反戦平和を願うチャップリンが命がけで製作したこの映画。チャップリンは、映画の中で母に感謝の気持ちなどを表しているのかもしれません。

 

アメリカから国外追放されてからのチャップリンの生涯

国外追放されてからスイスへ

映画独裁者のときのチャップリンの写真

出典画像:wikipedia

映画『独裁者』は公開当初はアメリカの大統領、ルーズベルトからも高評価を得ていました。しかしコメディ映画なのに反戦平和のメッセージを込めたこの作品は、当時の世界の状況とは合いませんでした。そのため、映画の公開後にナチスだけではなくアメリカを含めた世界中の軍事産業にも警戒されることになったのです。最初は高く映画を評価したルーズベルト大統領も、映画を危険な作品と判断してチャップリンを批判しました。

63歳で映画『ライムライト』が完成させてロンドンに向かう途中、チャップリンはアメリカの法務長官から事実上の国外追放命令を受けます。アメリカから国外追放を言い渡された翌年の1953年、彼は永世中立国スイスへ移住しました。

スイスでのチャップリンの活躍

チャップリンの写真

出典画像:wikipedia

反戦平和を主張してアメリカから国外追放されてスイスへと移住したチャップリンは、その地でも名作を完成させます。当時アメリカで社会問題となっていた赤狩りをテーマにした『ニューヨークの王様』は、スイスに移住していたからこそ完成できた作品です。

さらにチャップリン唯一のカラー映画、『伯爵夫人』もアメリカ追放中に完成した作品になります。自分の信念を貫き、当時のアメリカでは作成ができなかった映画を、チャップリンはスイスで作り上げたのです。

チャップリンの生涯の晩年

約20年の時を経て、アメリカへ帰国

アカデミー賞受賞時のチャップリンの写真

出典画像:wikipedia

1952年にアメリカから追放されてしまったチャップリンは、1972年にアメリカへの帰国が許されました。アメリカに帰国した際、チャップリンはすでに83歳になっています。ハリウッドのアカデミー協会は、謝罪の意味も込めて、チャップリンにアカデミー賞特別賞を授与しています。この授賞式ではスタンディングオベーションが起こりました。スタンディングオベーションの長さは、オスカー史上最長で約5分間です

さらにチャップリンは86歳のときにナイトの称号も送られ、名声だけではなくアメリカでの地位も獲得しています

チャップリンは家族に見守られながら永眠

スイスに建つチャップリンの銅像の写真

出典画像:wikipedia

チャップリンはアメリカでアカデミー賞を受賞しナイトの称号を送られた後、スイスで4人目の妻ウーナと自身の8人の子どもに囲まれ幸福な老後を送りました。そして1977のクリスマスの朝、静かにその生涯を終えました。死因は脳卒中です。このときのチャップリンは88歳でした

現在でもチャップリンが晩年を家族と過ごした邸宅は、チャップリン記念博物館として見学できるようになっています。

まとめ

いかがでしたか?今回はチャップリンの生涯について画像を使いながら紹介してきました。もともと役者としても活躍していたチャップリンの素顔は、画像でも見てとれるようにとてもイケメンです。喜劇王として知られているチャップリンですが、その生涯は波乱に満ちたものでした。反戦平和を主張するあまりアメリカから国外追放を余儀なくされてもスイスに移住し、映画の制作活動を続けたチャップリン。追放から20年過ぎたときにアメリカへの帰国を許され、地位も名声も確かなものにしました。

多くの人に笑いを送り、自分の信念を貫いたチャップリンの人生からは、私達が沢山学ぶことができます。
この機会にもう一度彼の作品を楽しんでみませんか?

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

2 × five =